御異見番

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宇崎ちゃんが琴線に触れたもの

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このポスターが引っ掛かったのはたまたま素性の良くない人たちの目の敵にされただけだからだろうが、広告である以上は何ら話題にならないものよりは、本来の意図で成功しているともいえよう。

 

世にこの手のポスターなどいくらでもあるのに、これがフェミ派の琴線に触れたのは顔つきと胸のギャップにあるのではなかろうか。

フェミ派が想定する、この顔つきから想定される胸態と実際の絵柄に乖離があり、その期待値と実績値の差異が「過度に性的」と感じさせたのではないか。

ある界隈でいう、ロリ巨乳的な。

 

そういう意味でこの引用の言説は全てが的外れでしかないのだが、公共の場で女性をアイキャッチとして使用すべきではないとは意味がわからず、いつのまに行政も含めてコンセンサスなど得られたのであろうか。

 

ではアイドルの一日署長とかどうなのか。男性性むき出しのジャニーズのポスターはどうなのか。

だいたい、広告など半分くらいは性別をアイキャッチとしているのではないか。

 

そもそも、今回のポスターがなぜ失敗案件であると断じられるのであろうか。そこに何ら言及がないというのは、要するに論理的な根拠など持っていないからであろう。

 

 

どう考えても性的な誇張表現のアウトとセーフの境目なんか決められるはずもなく、あいまいなところはその都度考えればよいとかいう記述は笑うところなのかもしれないが、

声のでかい無敵の人が私は認めんと言ってしまえば歩み寄りなど不可能なことは目に見えているし、感情で動きがちなフェミ派の決めることなら境界が毎回動くことが容易に想像できる。韓流なら激甘になるとか。

 

最後に、「否認」論には付き合うべきではないと述べるが、この炎上でいう付き合うべきではない「否認」論とはポスターを否認している人たちでしかないと思うのだが、この人は自分たちは「否認」論者ではなく、ポスターを擁護する側が付き合うべきではない「否認」論者である。といえる論拠はあるのだろうか。

いつもの自分を客観視できない人たちのように見えて仕方がないのだが。