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結局この人は、日本人扱いしてほしかったのか、外国人扱いしてほしかったのか。
個人として扱ってほしかったのか。
いつまでもお客様がよかったのか。よくなかったのか。
日本企業文化の洗礼を受けるのは、日本人だからとか外国人だからとかは関係なく個人として受けたものであろう。
国籍関係なく個人として認められた故の扱いだがそれは望ましいものではないのか?
それは困るというのは、要するに国籍だとか個人だとかはただの言い訳で、単に自分の思う通りにならなかっただけの話であろう。
人が人と組織を組む以上は、理不尽なことを言う人もその人なりの理屈があって、どちらかが一方的に主張しては組織は立ち行かず、お互い折り合いをつけるしかない。
それが逃げ場のない島国で、折り合いのつかない人とも付き合っていくためにこの国の人が編み出した処世術なのだ。 それを「郷に入らば郷に従え」という。
だれも日本人になろうぜなどと言っていない。
この国ではここが折り合い点なのだと説明しているだけなのだ。
そこで俺はこうだ。と自慢げに言われてもその組織で少数派である以上なんら意味はない。
国籍論は、この話の本質を曇らせる。
だいたい、個人として捉えるとか言いながら、日本の企業文化などと、企業を国籍で区切るのはなんなのか。
結局、原理原則を考えず、その場の気分と思い付きで理論を展開しているから簡単に破綻してしまうのであろう。