御異見番

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トリエンナーレの展示中止

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本展示で問題になったものは、主に慰安婦像と天皇陛下の動画であるが、この論は慰安婦像を念頭に書いていると思われるので、その前提で論じる。

 

結論から言うと「国民感情を害する」は、表現の不自由展を批判するに十分な根拠であろう。だいたい批判だけであれば、どんな論拠であろうが危うさなどないし、むしろどんな展示であっても批判されないというのは、それはそれで不自然である。

批判・議論が起こるということは、自由な社会である証拠であるし、俺の作品の批判は許さんというのは、極めて危険な行為である。

 

それはさておき、今問題とされているところは、「国民感情を害する」ことを理由に展示が中止に追い込まれたことであろうが、それに関しても本文の中で答えに言及されている。

 

表現の自由」には一定の例外があるが、それは脅迫、名誉棄損、プライバシー侵害、、、云々

 

とあるが、「国民感情を害する」とは、国民、ひいては日本国を侮辱し名誉を棄損する行いなのであるから、今回の展示が表現の自由に優先しうることは、自分でも書いてしまっている以上、わかっているのであろう。

そんな自己矛盾した程度の低い文章を書いてしまうということは、この文章が結論ありきで書かれたことの証左である。

 

というわけで、この論がどこでおかしくなってしまったかという話であるが、慰安婦という歴史があったのかなかったのかという部分で、あったと決めつけてナショナリズムを煽っている部分であろう。感情優先で慰安婦があったと決めつけている時点でこの論も表現/言論の自由を侵害する「悪質な」言説である。

 

だいたい歴史であれなんであれ、常に批判はされるべきで、後年名誉が回復されることなどいくらでもある。歴史を否定したらそれは「悪質な」ナショナリズムであるというのは全く的外れである。

 

言い訳のように、ナショナリズム自体は善でも悪でもないと繰り返しているが、慰安婦はあった→それを否定する言説は悪い言説だ。のような決めつけを行っている時点で、ナショナリズム→悪いという印象付けを利用して相手を否定したい意図が見え見えである。

というわけで、「悪質な」ナショナリズムとは何かといえば、事実に基づいた冷静な考察なしに、感情的な決めつけを元に振舞われるものであろう。慰安婦については、冷静な考察の結果否定されているのであるから、それを感情的に踏みつけて妙な像をこねる行為は名誉棄損であり、唾棄されうるものである。全般的にはそこそこおかしくないことも言っているのに、慰安婦を短絡的に実在したものと肯定することを議論のベースにしているために、読む価値の無い書き物に成り下がっている。なお、天皇陛下の動画についても、ネーションとの向き合い方を問うにあたり、安直に天皇陛下の肖像を持ち出している時点で、作家として全くの力量不足であり、およそ展示に値するものではない。