御異見番

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靖国神社のロジック

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中韓がそんなにロジックを大事にしているとは思えないけれども、それはさておき「首相が参拝する」 ためにロジックを立てるとしたらなにがよいか。という論争であろう。

 

天皇陛下はともかく、首相が参拝することにどれほどの意味があるか?とは思うが、ここではそれは置いておく。

 

強引に行くというのは、ロジックでもなんでもないし、実際の政治状況としてそれができていないのが問題であるので、「首相が参拝する」というお題は「首相が参拝できる政治状況を作る」というのがより正確であろう。

 

そういう意味で、分祀するなどというロジックは、中韓がさらに増長するだけで仮に「首相が参拝できる政治状況を作る」ことができたとしても、代わりに失うものが多いであろう。

分祀したところで、中韓はさらにつけこみ、なんらかの難癖をつけ賠償を要求してくるだけである。

第一ミッションは達成できるかもしれないが、その他の状況をさらに悪化させる下策である。

 

だいたい日本人の感覚として、分祀ということは墓を暴くことと同義である。

現代を生きる人間が、何者かを死後に悪人に仕立てそこに眠る魂を起こしてどこかに動かすという行為は、死ねばみな仏。の精神と相いれない。

 

戦争指導者などというが、最終的に国民の身代わりとして戦勝国に殺され、国家に殉じた者達である。

日本を戦争に導いたのは誰か。結局はマスコミとそれを煽り煽られた国民であろう。

いつまでもそこから目を背けているからいまだ戦後から抜け切れず、中韓に付け入るスキを与えているのである。

しかも恐ろしいことに、マスコミとそれを煽り煽られる国民という構図はその後70年経っても何も変わっていない。

 

したがって、「首相が参拝できる政治状況を作る」ためのロジックとしては、戦争指導者・A級戦犯といっても、すでに戦勝国に裁かれ国民の不始末をその一身で償っている。それは国家に殉じたと言える。

すなわち、国民の不始末を身をもって謝し贖った。そして仏となって赦された。本件はそれで終了した。

 

日本人はそれに対して墓を暴くようなマネはしない。ただ国家に殉じた人に対して祈るのみである。